岡本先生ご夫妻について 小阪清行
jacob2019/03/28 13:36:25

岡本先生ご夫妻について

小阪清行

 

 岡本三夫先生と初めてお会いしたのは、もう40年近く前のことです。

 当時僕は、親のやっていた商売を手伝っていました。ときどき丸亀の教会に通っておりましたが、そこの牧師さんから、善通寺の四国学院大学でドイツ語を教えてみないか、との話がありました。知り合いの牧師さんが、転勤で教えられなくなったので彼の代わりに、とのこと。

 「岡本先生って方が、第二外国語の主任をやられているので、まず彼に会ってください。最近、平和学で朝日賞(朝日学術奨励金)を受賞した気鋭の学者らしいですよ」

 という経緯で、彼の研究室を訪問することになりました。

 彼もドイツ生活が随分長く、僕も西ドイツでの2年間の留学と1年間の東ドイツでの通訳のアルバイトから帰国して間もない頃だったので、話題は自然にドイツについて。その際、ドイツ語と英語で書かれた論文や学会レポートをいただいて、読んだ記憶があります。

 最初引き受けたのは、週2コマだけでしたが、そのうち珠代先生のドイツ語授業も僕が引き受けることになりました。その際引き継ぎで、珠代先生と電話で話したことがありましたが、直接お会いしたのは、何年も、ひょっとすると何十年も後のことだったかもしれません。

 僕は高校時代からエスペラントをやっておりました。当時(五十数年前)、菊沢季生(国語学者、ローマ字主義者)が四国学院で教えておられて、12度ご自宅(キャンパス内の教員住宅)での例会に出席したことがありました。ですから、四国学院とエスペラントの間には、昔から少々接点があった訳です。

 四国学院で教え始めて、しばらくしてから、当時香川エス会の会長であった川村信一郎先生(香川大学名誉教授、生化学)が岡本三夫先生と学会などで知り合いであることが判明しました。僕は大胆にも、四国学院の第二外国語の授業として、エスペラントを採用してもらえないものか(講師には川村先生を想定)と考え、岡本先生に相談しました。

 「そんなに急では無理があるでしょう。物事は、段階を踏まないと」

 というのが彼の当時の考えで、差し当たり岡本先生の平和学の授業で、川村先生がエスペラントについての講演を行うことになりました。平和学のクラスには数名のアメリカ人留学生がいて、岡本先生が同時通訳をしましたが、見事なものでした。

 結局、学内に同好会を作るなどの「段階」を経て、盛り上げていかないとダメでしょう、という結論に至りましたが、学生が一人も集まらず、この話は裁ち切れになってしまいました。

 その後、岡本先生は広島の修道大学に移られ、音信も途絶えましたが、十数年もたったある日突然、彼からメールが届きました。彼は僕のメールアドレスを知らなかったので、直接ではなく、共通の知人である四国学院の教師宛てに。田中克彦の「エスペラント」を読んで感銘を受けた。学習を始めたいので、色々教示願いたい、と。

 それからかなり頻繁にメールの遣り取りが続きました。適当な学習書を推薦して欲しいとか、その後は語学的な質問とか・・・。そんな流れで忍岡さんを紹介しました。岡本先生夫妻と広島エスペラントセンターとの繋がりがこれほど長く続くとは、当時想像さえしておりませんでした。

 平和学の大物が、しかも英独仏のどれも同時通訳できるほどの語学力の持ち主が、エスペラントを始めたというので、一時は大会講演や、機関誌記事の執筆依頼が随分あったのではないでしょうか。

 それらの原稿の中で、しばしば言及されたのが、当然のことながらエスペラント学習開始の動機です。田中克彦の著書との出会い、平和学とエスペラントとの共通の目標、そして最後の方に、「ちょっと打算的ではあるが」というようなニュアンスを込めて、認知症回避のために、とのコメントも。確か、姉君が認知症を患い、自分もそうなってしまってはとの思いがあり、それを予防するには、新しい言語の習得が一番だと思う云々の内容でした。皮肉なことに、エスペラントはその予防に十分には役立たなかった訳ですが、エスペラントの持つ「人と人を結ぶ絆」としての働きに関して言えば、十分過ぎるほど発揮されているのではないでしょうか。

 僕は現在も四国学院でドイツ語を教えています。岡本先生当時、非常勤も含めて10名前後のドイツ語教師がおられましたが、今や僕一人。しかも往時は一クラス4050名でしたが、現在は第二外国語は必修から外され、10名程度。ドイツ語教師としては少々寂しいですが、考えようによっては、ドイツ語をやりたい学生のみが選択して入ってくるので、しかも人数もこれくらいが一番適当ですので、随分やりやすくなりました。

 四国学院では、岡本先生を直接知っている先生方も少なくなりましたが、僕は幸い、読書会や同人誌などを通して、退職された先生方との接点があります。彼らは三夫先生と珠代先生との思い出が懐かしいようで、集まるとよくお二人の話になります。

 お二人もまた善通寺が懐かしいのでしょう。4年前の鳴門大会でのことでした。三夫先生に、「善通寺にはときどき帰ってこられているのですか?」とお訊きしたところ、「いや、今まさにそこに住んでいるのよ」との返事。図らずも、先生の心の中における善通寺の重さを、垣間見た思いでした。